2025.06.23

追悼 斎藤歩さん<下>

追悼 斎藤歩さん<下>

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「道内演劇界の羅針盤」斎藤歩さん死去 関係者から惜しむ声
(北海道新聞6月12日 北海道新聞デジタルでご覧になる場合はこちら ※閲覧にはログインが必要です)

道内演劇に情熱燃やす 斎藤歩さん死去 道内外で悼む声
(北海道新聞6月17日)

私が所属する劇団「座・れら」の演出家、戸塚直人(なおひと)さんをはじめ、北海道演劇界の先輩方から、斎藤歩(あゆむ)さんの破天荒な人となりを伺ってきました。そんなエピソードも少し記しておきたいと思います。 

左/2023年11月、座・れら刊行の演劇誌「風」取材時の斎藤歩さん 
右/斎藤歩さんの戯曲集と演劇誌「風」 

歩さんはすらりとした長身に加え、北大入学当初から教養部自治会再建運動などに取り組み、その頃からずいぶん目立っていたそうです。 

新寮に移行したばかりの「恵迪(けいてき)寮」の寮運動ともつながり、1年目からかなりの有名人だったということ。 

そんな歩さんが芝居を始めたきっかけは、演劇に目覚めたからではなく、当時住んでいた部屋がたまたま演劇研究会メンバーのたまり場となっていたからで、いわば、何となく始めてしまったというのですから、驚きです。 

そもそも歩さんが北大に入学したのは、南極観測船に乗りたくて科学者になりたかったから…意外なことばかりです。 

歩さんと戸塚さんは当時、北15条にある「魴鮄(ほうぼう)庵」というところで共同生活をしていたそうです。戸塚さんによると、その施設は演劇や絵画、映画、文芸、新聞など、バブル直前の華やかな時代に乗り切れなかった?(乗ろうとしなかった?)有象無象の学生やそのOBらが集まる、おんぼろ一軒家だったようです。そこから生まれたのが、歩さんが最初に旗揚げした劇団「札幌ロマンチカシアター魴鮄舎」でした。 

ここからは直近の話を記します。「札幌座」が上演した「葉桜」が、存命中の歩さんにとって、最後の「演出」作品となってしまいました。戸塚さんは5月30日の初日舞台を、北大時代の友人で、元道新記者の島倉朝雄さんと観劇したそうです。 

戸塚さんによると、「演出」と言っても、入院や自宅療養に入っていた歩さんは、稽古場に顔を出すことができません。練習の様子を撮影したビデオ映像をベッドの上で何度も巻き戻しながら、指導を仰ぎに来た俳優に演出をつけたそうです。 

歩さんはその時を振り返って「なんとも歯がゆい作品となっていて、~中略~ 自分自身が腹立たしい」と、島倉さんたちにメールをしていたそうです。初日観劇の直前、歩さんを見舞った島倉さんと戸塚さんが感じたのは「体は動かなくなっているけれど、頭ははっきりしているから、まだまだ大丈夫」だったそうです。 

私も同じ思いでした。「歩さんは強い。永遠はないことは分かっているけれど、まだまだ活躍してくれるはずだ」 

なぜなら、歩さんは8月1日~4日に予定している、私たち「座・れら」の上演作品「空の記憶」でアフタートークゲストを引き受けてくれたのだから。「生きていたらやるよ」って。 

そして、8月9日から「札幌座」が再演する「劇後鼎談(アフタートーク)」に演出・出演でクレジットされているのだから。 

余命宣告を受けてからも、これまでだって何度も復活してくれているのだから。きっとまだまだ生きていてくれるー。 

そんな願いも、叶わないものとなりました。 

残された私たちにできることは、歩さんが情熱を注いだ演劇の世界を、各々で引き継いで表現し続けていくことです。 

長い長い闘病生活。元気そうに見えるときも「痛いんだよ」とモルヒネを打ちながら、舞台に立ち続けた歩さん。本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。 

ウサコ
ウサコ

ライフワークは演劇と仕事の両立。趣味は温泉・サウナめぐり。健康法はよく眠ること!

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