
- 2025.06.23
追悼 斎藤歩さん<上>
ウサコ
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斎藤歩さん死去 60歳 北海道演劇財団理事長の俳優・演出家・脚本家
(北海道新聞6月12日 北海道新聞デジタルでご覧になる場合はこちら ※閲覧にはログインが必要です)
25年6月11日(水)早朝、俳優で劇作家・演出家の斎藤歩(あゆむ)さんが亡くなりました。享年60歳。北海道演劇界の精神的支柱で、とてもとても大きな存在でした。
亡くなった日の朝、私が所属する劇団「座・れら」のグループLINEに、劇団演出家の戸塚直人(なおひと)さんから一報が入りました。「早朝、斎藤歩が亡くなりました。静かに眠っているようでした」と。
戸塚さんは、歩さんとは北大時代からの親友。亡くなる前日の稽古前、私たちに「歩が熱を出して寝ているようだから、寄ってから稽古に行く」と連絡をして、歩さんの自宅に駆けつけたのが歩さんとの最後の対面となりました。
私は、ずっと遠くから憧憬の念をもって歩さんの作品を享受してきました。
最初の出会いは、大学生の時に観た「忘れ咲き彼岸花」という作品。30代手前の若い歩さんが手がけた脚本を、劇団さっぽろの創設者で当時北海道演劇界を、文字通りけん引していた鈴木喜三夫さんが演出した企画で、鮮烈な衝撃を受けたことを記憶しています。
その演出家の鈴木さんは今年で94歳。今も、私たちの劇団「座・れら」の座長です。自分よりはるかに若い歩さんを先に見送ることになり、何よりも寂しくつらい様子でした。「歩、亡くなってしまったね…」と。
私自身が歩さんとの思い出で印象深いのは、2020年にいくつかの劇団で共同企画した「別役劇祭」の公演です。やっと、少しだけ歩さんに近づくことができたときの緊張感。コロナ禍の真っただ中にあり、劇場に入る全員が消毒を何度もしながらの活動でした。細心の注意を払いながら、劇場の責任者として私たちを熱烈指導する歩さんの姿が今でも目に浮かびます。
演劇が「不要不急」の文化活動と言われ、自粛を求められた時代。そうした状況下で、歩さんが書いた作品が「劇後鼎談(アフタートーク)」。歩さんは演出・出演でクレジットされています。今年8月9日(土)から「ジョブキタ北八劇場」で、再演される予定です。
歩さんとの思い出は尽きません。
私たちの作品に的確なアドバイスをくれたこと。ほかの劇団の作品を観劇した際、偶然となりの席になったときに交わしたささやかな会話の一つ一つ。テンションを切らない表現。「座・れら」が刊行する演劇誌「風」のインタビュー記事。
直近では、今年2月に戸塚さんと、私の夫(学生時代に歩さんにお世話になっていました)と3人で、ご自宅に訪問したときの歩さんの姿。4人でおそばを作って食べながら、痛む身体を押して劇作への想いを情熱的に、お腹にずしんと響く声で語ってくれたこと。決して忘れません。
歩さんから受け取ったものは、私が持ち合わせる言葉ではなかなか表現できません。ただ、昨年11月に上演されたイプセン原作、歩さん脚本・演出・出演「民衆の敵」のラストのセリフは強烈でした。
「世界で一番強い人間は、ただ一人立つ人間だ」
もう一つ。演劇誌「風」の中で歩さんが語っていた言葉。
「俺は、人と人のあいだにあるものを求めるじゃない? ここにあるものじゃなくて、そこを探すじゃない?~中略~本当の自分なんていないんだよ。人と人のあいだにしか生かされていないんだぜ」
この二つの相反しているようで繋がっているメッセージを何度も反芻しています。
眼光鋭く、いつも必死のエネルギーをいっぱいに放ち、そこはかとなく優しく、後進の育成に心を砕き、ほとばしる知性とある限りの肉体を使って使って使って、舞台に立ち続け、満月にもう少しで届く早朝に逝ってしまわれました。
ライフワークは演劇と仕事の両立。趣味は温泉・サウナめぐり。健康法はよく眠ること!